






29日、厚生経済委員会の最終日に、観光協会が創設した「那覇まちまーい」の玉陵(たまうどぅん)パワースポットのコースに、委員会のメンバーで視察しました。
普段、身近に感じながらも、なかなか行く機会のないウチナーんチュでも楽しめる内容です。
はじめは、たまうどぅん(玉陵)の見学から。資料館で玉陵の詳しい説明を受けた後、実際に見学。
その後、守礼門を通過して、園比屋武御嶽へ。
次は、旧真珠道から石畳道へ、そして、金城町の内金城御嶽の巨大赤木。樹齢300年の赤木の根元には、大きな穴があり、願い事をかなえると言う。約2時間のコースでした。
いにしえの、琉球ロマンを感じるコースです。
夏場は、暑いので午前中と、午後4時からの2回実施するそうです。実蔡暑かったです。熱中症にご注意です。
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我が家に「天然記念物の大型蝶」オオゴマダラの食べる「植物ほうらいかがみ」がたくさんある。
今年は偶然にも、ハート型ができたので、パチリ。蝶が飛んでくるといいなと思っています。
オオゴマダラは、写真のように大型の優雅に飛ぶ蝶です。その幼虫は、想像もできない毒々しいものですが、さなぎは、これまた不思議な「金色」です。
今年の夏が楽しみです。
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連続テレビドラマを毎回見る事ができなくなって久しいが、このJINは引きつけられてしまいました。
先週の、坂本竜馬が生き返ったら、歴史はどうなるのかという、疑問・不安、どきどきしました。
咲さん、鉄砲に撃たれて助かるのか。
血液を浴びたことが、どのような結末に導くのか。
江戸時代の医者達が、手を取り合って力を合わせる。夢のようだと咲さんはいう。
咲さんを助けるために、現代に戻るが・・・・
歴史の修正力というキーワード。
ラストの咲さんからの、ラブレターで、全て救われた思いをしました。
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24日個人質問を行いました。
項目は3項目
1、津波対策について(国場方面の具体的なもの)
2、無料低額診療制度について
3、地域排水について
特に、無料低額診療制度について、意義を語り、この制度こそ、那覇市立病院が導入して、お金がなくて病院にかかれない市民に、平等に医療を提供し、憲法25条の生存権を保障するべきだと、提案しました。
詳細はPDFファイルでご覧下さい。
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20日、午前8時ごろ、閑静な住宅街で、ヤモリの無残な殺害事件が発生。
警察は、死んだヤモリの近くにいた、元野良猫、通称「モウ助」に事情を聞いたところ、殺害を自供したため、緊急逮捕した。
あわれ、(やーるー)ヤモリは、頭と尻尾を噛み切られ、既に死亡していた。
やーるーは、沖縄方言でヤモリのこと
モウ助・容疑猫の自供によると、「わしら猫はこういう動く生き物には、本能的に飛び掛ってしまうんです。けっして殺すつもりはありませんでした」と殺意を否定している。
警察では、最近、我如古家で尻尾のないヤモリが多数発生していることと、何らかの関連があるものと、厳しく追求するとしています。
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2011年6月議会代表質問 本文原稿 我如古一郎.pdf 2011年6月議会の代表質問終わりました。
なんだか、被災地の光景が目に焼きついて、気持ちが揺れているのか、質問の結果はよかったのか、どうなのか、自分でもよくわかりません。
ただ、総合的な津波対策、防災対策の提案は最低限、現地を見てきたものとして、議場で述べたつもりです。
冒頭で述べた内容は、以下のとおりです。
私は、日本共産党那覇市議団を代表して、代表質問を行います。
東日本大震災で被害にあわれた、皆さんにお見舞いを申し上げると共に、なくなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
私たち日本共産党は、本市を始め全国各地の組織を挙げて、被災地支援に取り組んできました。全国から我が党に託された支援募金は6億6千万円を超え、東北3県を中心に、直接自治体や漁協、農協にお届けしました。また、被災地の復興支援ボランティアも組織し、全国から支援物資とともに現地入りしています。
今回の大地震と大津波は未曾有の被害をもたらしました。自然の猛威の前には人間の無力さを知らされました。しかし、対策をしっかりとる事によって助かった命もありました。生と死の境目が政治の問題であってはなりません。
私たちは、死者・行方不明者2万3547人(6/11現在)という尊い命の犠牲のうえに、生かされています。その犠牲を無駄にせず、地震・津波などの防災対策を見直して、抜本的な強化を行い、市民の防災意識の高揚を図り、安心安全な街づくりを構築していかなくてはなりません。
私たち那覇市議団は、政務調査費を活用させていただき、5月31日から6月4日まで千葉県の液状化、静岡県沼津市の津波対策、静岡県立防災センターの視察、宮城県と岩手県の被災地を調査してまいりました。
そして、6月13日に「津波・地震等の対策の見直しと強化について」市長に申し入れを行いました。市長も「思いは一つ、防災計画も現状に即したものにするよう努力したい」応じました。今回はそれを踏まえ質問致します。
質問全文は、PDFファイルをご覧下さい。
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来週の20日、月曜日、朝10時から代表質問を行います。どうぞ、傍聴にいらしてください。
本日、その発言通告を行いました。
項目は5つ。
1、東日本大震災を受けて、那覇市の津波・地震対策の強化について。
2、東日本大震災被災者の支援について
3、消防行政について
4、基地・平和行政について
5、住宅リフォーム助成制度について
です。
詳細は、pdfファイルをご覧下さい。
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13日、那覇市議団は、翁長那覇市長に対して、今回の東日本大震災を受けて、那覇市において、「津波・地震等の対策の見直しと強化について」申入れを行いました。
全文の一部を紹介します。申し入れ書の全文は,PDFファイルでご覧下さい。
「大地震、大津波、原発事故が重なる未曾有の大災害、東日本大震災で、国と行政がその役割と責任をしっかり果たすことが問われています。
本市は、政府の発表した今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率が全国で19位にあり、・・・津波被害を受けやすい地域となっている。
琉球大学の中村衛准教授によると、琉球海溝でマグニチュード8・5の地震が発生した場合、沖縄本島東海岸で20m、那覇市でも10mもの大津波となり、東日本大震災の半分の時間、15~20分で襲来すると予測している。
このことからも、2mの津波しか想定していない那覇市の防災計画を見直し、対策の抜本的強化と防災意識を高め、防災力の向上に取り組むことが喫緊の課題となっている。」
市長は、思いは一つで、是非参考にさせていただき、できることから対策を強めていきたいと、応えました。
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本日13日、2011年6月議会が開会しました。
例年より、1週間遅れです。今回の議会は、3月11日の東日本大震災を受けて、那覇市の防災・津波対策が大きな議論になることは、まちがいありません。
私たちは、静岡県の防災対策を学び、宮城県・岩手県の被災地の惨状も調査し、災害にあわれた人々の犠牲の上に生きていることを、真剣に受け止めて、今後の防災対策を構築していく決意です。
今回の代表質問は、20日(月)10時からです。私が行います。
質問通告の内容は、明後日、通告後にブログにアップします。
議会に先立ち、市長にも「防災・津波対策について」申し入れを行いました。
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日本共産党は、被災者・被災地の一日も早い復興を願う立場に変わりはありません。
以下、志位委員長の表明概要です。
今回の民主・自民・公明3党の復興基本法には、「一人ひとりの生活基盤を回復する:という理念が欠落している。基本理念に「国境を越えた経済活動の進展への対応」掲げ、「新成長戦略と称して進めてきた、財界・大企業主導の政策が優先されている」。
第2に「復興の進め方で、上からの計画を押し付けようとしている。自治体は国の方針を措置する義務があるとしており、漁港を集約化し、株式会社を参入させる構想に宮城県漁協が反対している」。
第3に「復興構想会議に法的なお墨付きを与えるものになっている」ことをあげています。
震災を利用して、小さな漁港を潰し、集約して大資本が支配する漁業では復興とはいえません。
水産業の再生のためには、生産・加工・流通までをセットで全面支援すること、漁船や市場・造船所・養殖施設など一体となった再生こそ求められていると、私たちは考えます。
復興計画は、住民合意でつくり、実施は国と自治体が連携し、国は財政に責任を持つことが基本です。今回の基本法が上からの押し付けで、被災者不在の計画であることは、非常に残念です。
しかも、この法案が、1日の内閣不信任案をめぐり政争を繰り返していた、その日に密かに行われていた事実は、国会でのまともな審議はせずに、修正談合だけは行っていたということで、不信任決議案そのものが茶番だったのではないかと、思いたくなりませんか?。
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燃え尽き症候群.pdf 災害支援マニュアル 公務員用.pdf
辛淑玉氏からメールをいただきました。
内容は、以下のとおり。
「このメールは、被災地で公務に従事している労働者のサポートを目的として、私の、友人、知人、仕事関係者に送らせていただいています。重複しましたらお許しください。
いま、公務労働者が多くの人々の感情のはけ口になっています。
消防や自衛隊は、よくやったと言われますが、住民と寄り添い、昼夜問わず働き続けた自治体職員は、さまざまな軋轢の中に置かれています。その彼らに思いを馳せ、1000時間後の公務労働者へのマニュアルを作成しました。
地方自治体の公務労働者を支えることは、地方自治を支えることであり、かつ、その下で生きる、社会的少数者を支えることでもあります。」
タイトルは、「東日本大震災でがんばったあなたへ」1000時間後のあなたへ、と題した、地方自治体職員へ向けたマニュアルです。
持てる力の限りをつくして、被災者のためにとがんばってきた自治体職員は、この頃から次元の違う対応を迫られ、多くの悩みに直面する時期です。
体調不良や不眠、イライラやうつ症状など心のケアが必要だというのです。
確かに重要な指摘だと思います。身近な人に被災地の自治体職員がいる方は、ぜひケアしてあげてください。
辛淑玉 [info@shinsugok.com]
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石巻市の港を見下ろせる高台、日和山。松尾芭蕉も立ち寄って俳句を詠んだ、景勝の地です。しかし、その景色は地獄そのもの。
まだ放置されている船がそこら中に。
4階建ての南三陸町公営住宅。港に隣接して4階まで被災しました。市民病院も壊滅。未だ、ベランダに車が引っ掛かっています。
静岡市の津波警告板。「地震だ・津波だ・すぐ避難」これが合言葉。
沼津市の電柱の海抜標示、電柱のいたるところに、ここは海抜何mという標示がされ、日頃からどこに逃げるかを、住民が認識している。
浦安市の液状化被害。私が写っているのは、ディズニーランドのすぐ近くの駅前。ほとんどの地域が30cm以上沈下していました。
道路の補修は進んでいましたが、でこぼこは抜本的な改修が必要なようです。
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被災地の状況調査の2日目は、盛岡駅を出て、陸前高田市から田老地区までを行くことでした。行くだけで3時間のかなり強行軍です。
全国一といわれた、強固で高い防潮堤は万里の長城ともいわれ、津波に襲われ続けた地域の、執念で生まれたものといわれていました。
しかし、今回のこの津波は、その防潮堤をも乗り越え、町の多くを飲み込んでしまいました。その防潮堤の上からみた景色は、平坦の部分はほとんど何も残されない、瓦礫の山でした。
海を見ると沖の防波堤は何重にも設置されていましたが、その多くが破壊されて、バラバラでした。
その場にあったものかはわかりませんが、小さな観音像が汚れたままポツンとなくなった被災者を導くように立っていました。
盛岡駅の壁には、明日への希望を語った市民の写真が、張られていました。
7月には、調査ではなく、遅ればせながら支援でここに来たいと強く思いながら帰ってきました。
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しばらく沖縄を離れて、防災の研究・被災地の調査に行って来ました。
初日は、千葉県の浦安市で液状化による、地盤沈下を見てきました。
静岡県の沼津市の津波対策を、現地の地形を見て、表示板や津波避難タワーの役割、避難経路などをしっかり見てきました。
翌日は、静岡県地震防災センターの見学と実際に静岡県の防災計画を、同センター所長代理の望月氏に説明をいただいた後、地震体験施設で震度6強の揺れを実体験しました。立っている時と、寝ている状態では、揺れの恐怖が2倍に増えることもわかりました。5名で映っている赤い写真が実験装置です。
その後、仙台市に移動。翌日は石巻市、南三陸町、気仙沼市の惨状を車で移動しながら、直に見てきました。石巻港を見渡せる、日和山公園から、瓦礫の撤去作業中の風景を見て、全て流されてなにもない、惨憺たる状況に声も出ませんでした。
港の水産物加工施設で大量の海産物が腐敗し、ヘドロの臭いと合わせて、なんとも言えない悪臭が漂っていました。これが震災なのだと感じさせる。
南三陸町、あの防災無線で若い女性職員が命がけで放送した防災庁舎に行って、手を合わせ、その死を無駄にせず、復興を誓ってきました。特に南三陸町は、瓦礫の撤去が進んでいない状況で、被害の大きさが際立っていました。
気仙沼、そこまでのルートは寸断され、道路ははがれ、橋は流され、線路の鉄橋は崩れれ落ち、集落全てなくなっている場所など、たどりつくのも大変な状況でした。
メンバーは、しだいに声をなくし、ひたすらその光景を目に焼き付けるのが、精いっぱいでした。
生死の境はなんだったのか。そのことの意味を今後も問い続けなければならない。那覇市にどのように教訓として取り入れるのか。課題はとてつもなく重いものでした。
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