5月4日は、沖縄全体が騒然とした一日だった。県民大会のそれとは、明らかに違う雰囲気を持っていた。
朝9時から県民広場には人々が集まり始め、数百人規模の民衆になった。
3日程度の取り組みで、これだけの県民が集まるのはすごい。
私は、祖国復帰運動をしていない世代であるが、当時の県民の気持ちはこのように高ぶる気持ちを抑えきれず、何か意思表示したいという思いだったのかと感じるような、怒りの集会だった。
県民大会の県民意思を全く無視するかのような、基地押し付けのお詫びに来るとは、なんたることか。
絶対に許せない。県民の命より、日米安保。県民の平穏で安心な暮らしより米軍の抑止力。こんな釈明を聞くつもりはない。
3時間にわたり、県庁前で怒りの抗議集会は、終わることのないシュプレヒコールの合唱を続けた。誰も帰ろうとせずやり場のない怒りを、警察にそして県庁の建物にぶつけ、一縷の期待をかけたのに・・・・・
なぜ、米国と本腰を入れた交渉をしないのか。一番米国が了解する案を並べて、腰の引けた交渉をしてきたのかといいたい。
5月16日の普天間基地包囲を成功させ、県民の闘いは更に大きなうねりになることだろう。
5月3日から5日までの那覇ハーリー(爬龍船競争)を見に行きました。一昨年は市議会チームとして参加もしました。
3日は、各中学校対抗の競技があり、我が石田中学校を応援に行ったのですが、結果は他校にはるか及ばず、残念でした。
素人として参加したことのある者として、練習量と作戦が必要かなと思いました。また、その船の舵取りが上手いかへたかでも、かなり順位が変わると思う。石田中の船の動きを見ていたが、折り返しのターンが、上手くいくか行かないかで、かなり時間がかかり、順位が変わった。大回りをさせられて、可哀そうな結果だった。
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